【コラム】ライセンス制導入!?釣り場の未来を考える【第1回】

2021年10月。神戸港の沖堤防への渡船が公に禁止されたことが大きな話題になりました。

日本でも特に有名な防波堤ということもあり、神戸港の沖堤防を利用する多くの釣り人や渡船業者が憤りを覚えました。

しかし、釣りが禁止されるのは有名な釣り場だけではありません。

SNSでは、「最寄りの釣り場が立入禁止になった」というコメントがかなり散見されます。

釣り場が立入禁止になる主な理由としては次のようなことが考えられます。

・違法行為
・違反行為
・迷惑行為(マナー違反行為)

このような釣り人の行為を問題視して「釣りに関してライセンス制を導入したらどうか?」という有名アングラーもいるくらいです。

このページでは、釣りのラインセンス制について考えてみます。

この記事は10年以上前に別のウェブサイトにも書いたのですが、今ではサーバーにデータも残っていないようなので、現在の事情を踏まえつつ、再度掲載します。

ライセンス制を考えるうえでの大前提

迷惑行為をする人が100%悪い

まず、釣り人の迷惑行為問題を考えるうえで大前提としなければならないのが

迷惑行為をする人が100%悪い

ということ。

これは、釣り人(全般)の問題でもなく、釣具店の問題でもなく、釣具メーカーの問題でもありません。

ただ、ただ、迷惑行為をする人間が悪い。

なので、迷惑行為を大雑把に釣り人全般に帰責させたり、釣具店に帰責させたり、釣具メーカーに帰責させるべきではありません。

「あえて迷惑行為をする人」への対応が必要

これも大前提の話です。

どれだけ「ゴミは持ち帰りましょう」という啓発活動を行ったところで、迷惑行為をする人はいます。

ゴミを捨てるどうしようもない人間は一定数は存在します。

このような人たちが一定数いることを前提に、「あえて迷惑行為をする人」に対応することが求められます。

これについては後述します。

影響力ある立場からの啓発活動とその限界

メーカーや著名アングラーによる啓発活動

釣り業界では、釣り場を保全するために、釣具メーカーや著名なアングラーが毎日のように

「ゴミは釣り場に捨てないようにしましょう」

「駐車禁止の場所に車を停めないようにしましょう」

という内容の発信が行われています。

これに対しては

アングラー
そんなこと言っても、停める人は車を停めるんだから意味ないよね

という人もいれば

アングラー
影響力ある人がこういうことを発信することが重要

という人もいます。

行動規範のレベルとしてはかなり低い

一般論でいえば、「ゴミは釣り場に捨ててはいけません」というのは、園児や小学生に向けられる行動規範です。

そうすると、このような啓発活動が効果的なのは

①「ゴミを釣り場に捨てたらダメ」ということを知らない人
②ゴミのポイ捨てについてまったく何も考えていない人
③ゴミをポイ捨てしてもいいんだろうか?という迷いのある人

に対してといえます。

でも、こんなに規範意識の低い日本人って、そもそもそんなにいるでしょうか?

アングラー
ゴミを捨てるやつは園児レベルのこともわからないんだよ(# ゚Д゚)

という暴論で片づける人もいるでしょう。

でも、僕の考えとしては、釣り場に弁当ゴミ・ルアーのパッケージ・折れたロッド等を捨てていく人間は、100%に近いくらい確信犯だと思っています。

つまり、釣り場にゴミを捨てていくような人は、「ポイ捨てしちゃダメ」ということを知らないわけではなく、行動規範として「ポイ捨てしちゃダメ」というのを認識しつつ、あえてその行動規範をスルーする人たちです。

普通の感覚とは異なる、いわゆる「ちょっと変わった人たち」です。

ショーカラ
中には、うっかり落としたことに気づかなかった人もいるでしょう。
あるいは、車に関しては「知らずに停めていた」ってのはあり得るでしょう。

啓発活動の限界

初めに戻って、影響力ある立場からの啓発活動がどれだけ効果的なのかを考えたとき、効果が見込めるのはせいぜい上記②の人くらいでしょう。

①や③という規範意識レベルの人がそれほど多いとは思えません。

また、②の人であっても、啓発活動を素直に受け入れる人でなければ、やはり行動規範をスルーする人(ちょっと変わった人)ということになります。

このように考えると、「ゴミは持ち帰りましょう」「駐車可能なスペースに車を停めましょう」という趣旨の啓発活動は、規範意識が頭の片隅にもない人(でも、行動規範を素直に受け入れる人)に対しては効果があると思われます。

しかし、行動規範についての認識がそこまで低い人はそれほどいないでしょう。

そこで、「ゴミを捨ててはいけないということを知らない人」ではなく「あえて迷惑行為をする人」への対応が必要になります。

ショーカラ
それは、啓発情報の発信者側も承知の上だと思います

ライセンス制の導入

ライセンス制の導入でなにが変わるか?

日本の釣りにおいて議論の対象となっているライセンス制というのは、ざっくりいえば遊漁料のようなものです。

お金を払って釣りをさせてもらうということです。

では、ライセンス制を導入することで、なぜ釣り場が保全できるのでしょうか?

財源の確保

まず、一つの理由として、釣り場を保全するための財源の確保が見込めるということが挙げられます。

釣り場を保全するために立て看板を製作・設置するのにはお金がかかります。

安全のための柵を設置するのにもお金がかかります。

ゴミ拾いの人件費やゴミの処分にもお金がかかります。

何かをしようと思えば、必ずお金がかかります。

ライセンス料を徴収することで財源を確保できるというのは大きなメリットです。

また、河川や湖沼などでは、水産資源の放流のための財源にもなっています。

無法地帯化の防止

釣り場の保全という観点からライセンス制を導入するもう一つ理由として、釣りをするためのハードルを高くするということが挙げられます。

マナー違反を起こす釣り人の中には、「ちょっと釣りをやってみようと思い立った」層のアングラーがいます。

この層の釣り人というのは、釣り場が潰れてしまったところで、それほど困らない人たちです。

また、釣り場におけるマナーを知らないために、意図せずしてマナー違反をしてしまうこともあるでしょう(立入禁止区域への立ち入り等)。

そこで、気軽に釣りをするためのハードルを上げて無秩序化を防ぐことを目的として、ライセンス制の導入が主張されることがあります。

ルール遵守などの義務付け

さらにライセンス制を導入するメリットとして、ライセンス取得者への一定の義務を課すことが容易になることが挙げられます。

おおよそあらゆるライセンスにおいて、ラインセンスを取得すれば、あとは何をしようが自由だ…というわけではありません。

自動車の運転免許も、交通ルールを遵守することはもちろん、定期的な運転免許の更新も求められます。

釣りにおいても、たとえば、釣りができる時間帯を制限できたり、持ち帰ることのできる魚の数を制限することが可能になるかもしれません。

このように、ライセンス制を導入することによって、釣り場を保全したり水産資源を保護することが見込まれるようになります。

日本における釣りのライセンス制の現状

実は、日本でも内水面(河川・池沼など)においてはライセンス制に近い取り組みが行われています。

日本では、漁業協同組合の存在する内水面で釣りをするときに、遊漁料の支払いが求められることがあります。

あるいは、採捕禁止期間が設定されている内水面もあります。

僕の住む地域でいえば、日野川水系漁業協同組合

日野川水系でトラウト(ヤマメ・アマゴ・イワナ・ニジマスなど)を釣ろうと思うと、遊漁料を支払う必要があります。

そして、この遊漁料の一部は、稚魚の放流など水産資源保全のための費用に充てられています。

このように、ライセンス制類似の取り組みは身近なところでも行われているのです。

ライセンス制の問題点

一律のライセンス制はそもそも日本の風土に合わないのでは?

日本は周囲を海に囲まれた島国です。そして、国土の約75%が山地です。

そのため、日本国民は古くから、平地を求めて海沿いに生活の拠点を置くという暮らしをしてきました。

そんな日本人にとって、海はとても身近な存在です。

たとえば、子どもたちにとって、『釣り』というのは子どもと自然とを繋ぐ接点のようなものです。

山間地域に住んでいる人も、30~40分ほど車で走ればすぐに海が見えてきて、誰でも釣りができます。

そういう生活を営んできた日本人にとって、自然と触れ合う一つの手段である『釣り』をライセンス制にするというのは違和感を覚えるところです。

制度設計の難しさ

ライセンス制を導入することにより得られるメリットは上記のとおりです。

しかし、ライセンス制のメリットのうち、どのメリットを重視するかによって、ライセンス制の対象となる釣り人ライセンス料が変わる可能性があります。

たとえば、釣り場保全のための財源を確保する目的であれば、あらゆる釣り人から少額のライセンス料を徴収した方がハードルが低いでしょう。

反対に、北海道のサケ釣りのように、釣り場の無秩序化を防ぐ目的であれば、特定の釣り場・特定の魚種を狙う釣り人に限ってやや高額のライセンス料を徴収した方が効果的といえるでしょう。

一口に『ライセンス制』といっても、どんな目的で制度を設計するかによって内容が大きく変わります。

あるいは、そのライセンス証を確認する方法も難しい問題です。

内水面では釣り場が限られていますが、海面(海)における釣りは、日本全体が海面に囲まれた島国ゆえ、どのような方法によりライセンス証のチェックを行えばいいのか?ということが問題になります。

海釣りをする人ならご存知かもしれませんが、海釣りをする人って、「どうやってそこに入ったの?」という場所で釣りをしている人がいます。

こういう人までいちいちチェックするのは本当に大変な作業です。

ほかにも、徴収したライセンス料を誰がどのように管理するのか?

行政が管理するのか?

公共性のある第三者団体に委託するのか?

ライセンス料の管理を委託した場合、その団体を誰がどのように監視・監督するのか?

このようなことも当然決めなければなりません。

全国津々浦々、様々な釣り場があり、様々な魚種がおり、様々な釣り事情を抱える日本において、不公平感を生まない緻密な制度設計がどれだけできるのか?

ただ単に「ライセンス制の導入賛成!」と声高に叫ぶだけでは解決できない問題があります。

制度設計や法整備には、当然、ライセンス制の導入に賛成する人の声が必要でしょう。

ライセンス制の導入を叫ぶだけで、あとは立法や行政に丸投げというわけにはいきません。

『ライセンス』の意味をはき違える人が出てくる可能性がある

どんな資格にもあり得る話ですが、何かの許可を与えるためにお金を求めると、『ライセンス』の意味をはき違える人が出てくる可能性があります。

つまり、金を払ったことに対して権利をやたらと主張する人が現れる可能性があるということです。

釣り人
もっと綺麗に掃除してくれよ

とか

釣り人
もっと駐車しやすいように交通整理してくれよ

とか。

その人の資質によっては「どうせ掃除してくれるのだから」と、ゴミを捨てていくような人が生まれるかもしれません。

そもそもマナーの良し悪しは個人の資質では?

ライセンスとして最も身近なものは運転免許です。

運転免許は、法令による罰則から運転マナーの啓発活動に至るまで、かなり強い規制のライセンス制度といえます。

じゃあ、運転免許証を取得したドライバーは、ほとんどの人が法令や運転マナーを遵守しているのでしょうか。

「どうせ取り締まられないから」という理由で、平然と5km/h以上も速度超過をしているドライバーはいませんか?

ガチガチのライセンス制度の自動車運転でさえ、速度超過等の法令違反は日常茶飯事です。

速度超過の経験のあるドライバーが「ライセンス制にすれば釣り場が保全できる!」と叫ぶのは、かなり自己矛盾を含んでいるように思えます。

規制を許容してしまうと広く利益が制約される可能性がある

ライセンス制を導入することで、釣りに対する規制を許容してしまうと、釣り人の利益が広く損なわれてしまう可能性があります。

これはどういう意味でしょうか。

K市が管理する沖堤防を例に考えます。

K市が管理する沖堤防では、たびたび水難事故が起こっていました。これは、管理者であるK市からすると深刻な事態です。K市としては、なんとかして水難事故を防がなければなりません。

じゃあ、どうするか?

一つの考え方としては、「防波堤の安全対策を徹底する」「安全対策を徹底している釣り人・渡船業者に限り上陸を許可する」といった安全対策を実施する方法があり得ます。

これは、釣り人や渡船業者にとってみたら、限定的で必要な限度の制限といえるでしょう。

しかし、これではK市の負担が増大するだけです。

水難事故を防ぐような徹底した安全対策を実施したり、釣り人・渡船業者の管理などは、K市の責任で行わなければなりません。

じゃあ、K市の負担を減らすにはどうすればいいか?

K市職員
そうだ、事故が起こっても困るし、防波堤はもともと釣り人のための施設じゃないんだから、一律立入禁止にしよう

としたほうが、K市にとっては、はるかに楽なわけです。

防波堤を管理する権限と責任がK市にはあります。そして、防波堤というのは釣り人のための公共施設ではありません。

とすると、K市としては、一律立入禁止という大鉈を振るうのが最も確実で簡便な対策です。

また、『釣り』という行為は、ほとんどの人にとって、生活のための生業ではなく娯楽です。K市からみても、釣り人の利益というのは保護すべき利益として決して大きいとはいえません。

このように、管理する側管理される側(釣り人)という関係が生まれると、どうしても管理者の権限や責任を根拠に、釣り人の利益が広く損なわれる可能性が生まれるのです。

ショーカラ
もちろん、渡船業者の営業は失われますが、管理者からすれば、防波堤はもともと釣り人のための施設ではないわけですから、原則どおりの管理をしただけ、ということになります

ライセンス制に対する思い

ライセンス制の是非は中身次第

釣り場のマナーや環境問題の悪化がクローズアップされるたびに、釣りのライセンス制が話題になります。

ライセンス制というのは『箱』のようなものです。

箱の中に釣り人を入れて、その箱の中で釣りをやっていける人に権利を与えるシステムです。

でも、箱の中身(制度設計)次第で、その箱は優れた箱にも、ダメな箱にもなり得ます。

ライセンス制を考えるうえで、どれだけ中身についての検討が行われているのでしょうか?

そもそも、そこから疑問です。

また、箱を設置したところで、運転免許のように法令違反(速度超過、一時停止違反)をするライセンス保有者が後を絶たない状態になっては意味がありません。

箱の設置だけを叫んで、中身を設計者に丸投げでは、必ずしも釣り人にとって有益なものになるとは限りません。

ライセンス制という『箱』を神格化してはいけません。

釣り人たち一人ひとりの小さな負担によって、すべての釣り人に対する大きな利益が得られるような制度(『中身』)の構築が不可欠です。

その制度設計の問題を抜きにして「ライセンス制は是か非か?」ということを考えても、話が前に進むことはほとんどないでしょう。

自然との接点は失いたくない

僕が子どもの頃は、よく、竹竿でハゼ釣りをしていました。

近くの竹やぶから竹をとってきて、火で炙って反りを調整して、獲ってきたヤドカリをエサにしていました。

ショーカラ
今では100円ショップでも竹竿が売っているので、そんなことする必要はないでしょう

海というのは身近な遊び場であり、釣りというのは海で遊ぶための一つの手段でした。

このような釣りまで、ライセンスが必要なのでしょうか…???

ライセンス制には反対しないけど…

僕も生粋の釣り人なので、地域住民・漁師・釣り人のすべてにとって利益になるようなライセンス制が設けられるのであれば、それは大いに賛成です。

ただ、素案すらない制度の制定を考えても

ショーカラ
それは内容次第だよね…

という感想以外にありません。

それだったら、啓発活動やゴミ拾いにとどまらない、釣り人・釣具メーカー・釣具店といった釣り業界で全体でできる取り組みから、まずは考えてみてもいいじゃないでしょうか。

つづく